親族が急に亡くなり、葬式に参加することになった。大宮聖苑にて、親族代表として、火葬炉から出てきたばかりの遺骨の確認を行う役を仰せつかることに。

公共斎場、大宮聖苑

告別式を終え、霊柩車と遺族一行を乗せたバスが大宮聖苑に到着した。大宮聖苑は、埼玉県さいたま市の公共斎場、つまり亡くなった方の火葬場である。

大理石で囲まれた、三日月型に近い不思議な形をした広大な建築物。火葬場には煙突が立っていて、死者の魂が煙とともに天に昇ってゆく…というイメージがある。最近では、再燃炉の普及により、煙突がない施設が多いようで、この大宮聖苑も荘厳なホール施設の出で立ちで、外見には昔の火葬場のイメージはない。

告別室から炉前室へ…1人の職員で炉に送り込まれる棺

遺族はまず、3つある告別室で遺体と最後の別れを告げて閉棺された後、炉前室で、職員が棺を火葬炉の中に送り込むのを見届ける。右隣の炉には、知らない方の遺影が置かれており、先に火葬されている途中のようだった。

火葬炉の入口はまるでエレベーター扉のように重厚な雰囲気になっているが、中の空間は非常に狭く、棺 1個がやっと入るスペースしかない。2人~3人がかりでよいしょと棺を狭い炉の中に奥まで入れるイメージがあるが、ここでは職員 1人が行う。下にキャスターのついた電動の火葬台車に棺を乗せて移動。手前から見ると H の字型の台車を、炉に注意深く挿入して、台を下げると格納完了である。

入口に遺影と位牌を立てて、最後のお別れをし、別室で食事を取りながら待つこと約 1時間。

遺族 2人だけ先に呼ばれる

「ご遺族の男性の方で、2-3名、先に来ていただけますでしょうか?」

と職員に呼ばれる。親等で言えば近い方ではないのだが、たまたま前日徹夜のため、アルコールを飲んでいない私が 1人加わり、合計 2名で行くことになった。

経過時間で言えば、もう棺も含めて灰になってしまっているはずだが、男がわざわざ呼ばれるということは、理由は一つしかない。

「ここで待っていてください」

告別室で待つこと数分。遺影を立てかける予定の壁面だけが、人工照明にしては明るく照らされているので、壁際に寄ってみたら、そこだけ頭上にスリットが切られて、屋外からの採光が施される構造になっていた。

通常、遺族が見ることのない空間

「お待たせしました、こちらへどうぞ」

入ったのと反対側の扉が開く。奥にはエレベーターホールのような炉前室があって、間に今までになかった部屋が 1室あった。

2人の職員が頭を垂れて弔意を表して立っている。左奥に何があるのだろうと見ようとしたら、ムッとした非日常的な熱気というか、質量をもった煙に左半身を包まれる感じがした。職員の前のトレイを見ると、白い粉がまだ残っており、その部屋が何をするための部屋なのか、おぼろげながら分かる気がした。

天然光の空間、欠番のある火葬炉

火葬炉前の空間をまっすぐ進む。

天井も高く広々としており、ここでも屋外から自然光を採光することにより明るい空間だった。火葬炉に向かって正面上と、背後と両方から照らされている。くっきりした影の少ない理想的なライティングは、斎場というより文化施設を思わせた。

ここには火葬炉はいくつあるのだろう。

端から 1番…2番…と通し番号のついたエレベータ扉のような火葬炉の前を進む。

3番…5番…6番…7番…8番…10番…11番…12番…13番…15番。

合計 12か。成仏してほしいという願いが、番号にこめられているようだ。

12番炉の前で立ち止まり職員がボタンを押して扉が開くと、さっきの部屋と同じような熱気とともに、ボイラーの中が露わになった。火葬台車に載せられて、私たちの前に台の上のものが見せられる。

炉前室での立ち会い

原形こそとどめていないものの、おわんが割れたような状態の骨が左側に多いことから、そこにかつて頭があったのであろうことは容易に想像できた。私が真っ先に対面して良かったのだろうか、とも思ったし、人によってはこの役は難しいだろうとも思った。

もともと体格の大きな方ではなかったが、それにしても火葬したらたったこれだけの体積しか残らないのか、と思うと、はかない。

1人が位牌を、私が遺影を持ち、先に告別室に戻ってきた後、遺骨は先ほどの前室にとどまり、いったん間の扉が重厚に閉じられ、何かが行われているようだった。タイミングを見計らったように、残りの遺族が集まってきたときには、遺骨はきれいに頭蓋骨、大腿骨、といったように身体の部位によって 4つ程度に分類分けされていた。

勤務しているのは市の公務員のようだが、毎日あの、ただならぬ粉じんの中で仕事をしているのだと想像すると、垂れた頭には弔意だけではない、重苦しい何かがあるように思えた。

告別室での骨上げ

骨は予想以上に白く、壁面の天然のライティングもあって、比較的、健康な生涯を感じさせた。たとえば内臓が弱かった場合は、接している骨が緑色に変色していたりするものだが、そういった箇所はないように思えた。

職員: 「はい、女性の方にしては、しっかりした骨でいらっしゃいますね」

遺族が 2人1組で箸で遺骨をつまんで骨上げし終わると、最後に職員がちりとりのようなステンレス製の道具で、残りの粉をてきぱきときれいに収骨し、関東らしく大きな骨壺に収めてくれた。ぞんざいでもなく、丁寧すぎもしない、遺族に有無を言わせない簡潔さが、職員の年期を感じさせる。

喪主が埋葬許可証の確認を終えると、職員が無くさないようにと骨壺の入った木箱の隙間にすっと差し込んで、それを合図にしたかのように出口の扉が開かれ、葬儀は終了した。

朝には紅顔ありて夕べには白骨となる…というけれど

その夜、疲れて居眠りしていると、何者かに追われて自分がベッドの下の狭い空間に隠れた夢を見た。その空間はだんだんと捜索の手が入り、ベッドの上に人が座って圧迫され、シーツは剥がされ、気がついたら、自分の右半分の頭蓋が割られているという禍々しいシーンで目が覚めた。

そうか。

いくら死んだからって、斎場の設備がダークさを感じさせないからといって、狭い部屋で焼かれることには変わりなく、本人的には嫌だろうと思った。

和漢朗詠集の「朝 (あした) には紅顔ありて夕べには白骨となる」…は、生きている人からの視点のような気がする。

自宅の仏壇に、お線香のひとつもあげてみることにした。